G式なブログ。

そういうこともある。

ここ一週間の悩みから解放されたというはなし。

大学に行く前から思っていた。
大学生活はモラトリアムだと。
大学では好きなことができると。
具体的に言えば、最低限講義に出て、最低限テスト勉強をすれば、どれだけ遊んでもいいと思っていた。
ひとはそれを「不真面目だ」「大学に行く意味はそんなことではない」と責め立てるかもしれない。
でもどんな不真面目なことでも、きっとそれは人生を豊かにするスパイスになる。
そう思って今まで生きてきた。

実際、私は去年相当エンジョイした。
主観的に振り返っても、遊びすぎかもしれない。
だが後悔は全くなかった。
去年一年で得たものはかなり大きかった。
それは友達や先輩という具体的なカタチであったり、彼らから受けた影響という見えないモノだったかもしれない。
とにかく、自分の想像するベストな18歳の過ごし方をしたような気がする。

しかしながら、2年生になり、6月に入ってから、事情は変わってきた。
週15コマの授業。それぞれに割とヘビーな課題。というか真面目に勉強しないと本当に分からなくなってきた。
それに対して夏に出すマンガ原稿。なかなかのページ数(予定)。進捗:ヤバい。
片方をやると、片方が疎かになってしまう。どちらも疎かにしたくないのに…!!
この相容れない2つの存在が、ボクの心身を蝕み始めた。

そして先週の水曜日、ボクは体調を崩した。吐き気と腹痛と頭痛と…etc。トイレとベッドを幾度となく往復した。というか一日中それしかしなかった。
だが実際一番まいっていたのはお腹でも胃でもなく気持ちだった。本気で大学を辞めたいと思った。

完治しないまま、金曜日、ほとんど勉強していない講義の中間テスト(早いように思われるだろうが、…実際クソ早い)。当然のようにまったく出来ない自分を見て、ココロが崩れるように感じた。

ボクは何がしたいんだろう。マンガも一週間ほとんど進捗がない。勉強もしていない。というか何も手がつかない。何かしようとすると違うことを犠牲にしないといけない。ボクは何だ…。ボクは何のために生きているんだ…?

日曜日も何かやらなきゃと言いながら、バイトの時間まで二度寝三度寝…を繰り返していた。本当に何もしなかった。
月曜日までにやらなければならないタスク、4つ。全くやらなかった。

バイト終わり、バイト先の社長があることに愚痴を言っていた。(バイトではなく)社員になるべく最近うちの店に入ったDさんが、社員になることを嫌がりはじめたのだ。しかも理由がシンプルに一つ。「つらいから」。
社長はボクに言った。
「仕事と思うな、人生と思え」という言葉がある。仕事と思うからつらいんだ。人生と思えばつらいなんて言ってられない。というか、「つらい」と口に出してしまうようでは、もうダメだ。自分の人生を諦めているようなものだ。自分の人生を変えるためにここに入ったのに、そんなんじゃ変えられるはずがない。(G式は)就職しても絶対「つらい」だなんて口に出さないほうがいい。口に出した瞬間、いろいろ台無しになるから。

ボクはその通りだと相槌を打っていた。
しばらくしてバイト先を出て、自転車で帰っている最中、ふと気がついた。

「最近の自分じゃねーか!!」

口にこそ出していないが、本当に自分を悲劇のヒロインみたく扱って、可哀想にと哀れんでいた。冷静に考えてみれば、原稿と勉強が両立できない前提で考えているのがダメじゃないか!出来るわそれくらい!ボクを誰だと思っているんだ!天下の東工大生だぞ!
というか、この記事の最初のほうに「どんな不真面目なことでも、きっとそれは人生を豊かにするスパイスになる。」なーんて偉そうなこと言いながら、この言葉の本質に何にも気がついていないじゃないか。どんな不真面目なことでも人生を豊かにするなら、一般に不真面目でない「講義」や「勉強」はもっと人生を豊かにするわ。
つまり、今までは「原稿」と「勉強」は全く別物で両立不可だと思っていたが、どちらもボクの人生の糧なんだから、両方重視して生活することもできるはずなんだ。犠牲にするなんて考えこそ馬鹿馬鹿しいことなのだ。

急に気持ちがラクになった。勉強意欲も原稿意欲も湧いてきた。思えば、勉強と原稿で韻が踏めるんだ。関係ないワードな訳がない(強引)。
実際社会人よりも自由な時間は圧倒的に多いのだ。それを生かすか殺すかは自分自身の裁量だ。

この一週間を生け贄にすることで、大切なことに気がついた。そう、この無駄とも言える一週間にも絶対価値と存在意義があったのだ。この自身の感情の文字起こしの1時間もきっと大事なんだ。そう思えば何も怖くない。

明日はきっといい日になる。いや今日からいい日にする。ボクは高橋優を超える。高橋優の一日先を行く。